今なお威光を放つ熊本城の勇姿

日本三大名城にも数えられる、熊本のシンボル・熊本城。
平成28年熊本地震により、天守閣や石垣、櫓など、甚大な被害を受けましたが、
400年もの歴史をもつ熊本城は、あの大きな揺れにも耐えぬき、今なおどっしりと構えています。
これからみなさんの応援で復興へと歩みを進める熊本城の勇姿を、是非見守っていてください。
平成28年熊本地震により、天守閣や石垣、櫓など、甚大な被害を受けましたが、
400年もの歴史をもつ熊本城は、あの大きな揺れにも耐えぬき、今なおどっしりと構えています。
これからみなさんの応援で復興へと歩みを進める熊本城の勇姿を、是非見守っていてください。
戌亥櫓(いぬいやぐら)

– 震災前 –

– 震災後 –
2003年に再建された櫓。木造2重3階の隅櫓で、戌亥(北西)の方向に位置することから戌櫓と呼ばれている。熊本地震によって、石垣が崩れ、角石でかろうじて支えられている。
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未申櫓(ひつじさるやぐら)

– 震災前 –

– 震災後 –
守備兵が身を隠して敵兵を襲撃したり、武具等を収蔵するための施設。熊本城奉行丸の南西に位置し、天守閣からみて「坤(ひつじさる)」=南西の方角にあることから未申櫓と呼ばれている。
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宇土櫓(うとやぐら)

– 震災前 –

– 震災後 –
加藤神社からの眺め。国指定重要文化財のひとつ。西南戦争で天守閣は消失したが、宇土櫓は戦火を潜り抜け、加藤清正が築城した当時の姿を残している。熊本地震にも耐え抜き、大きく崩れることなくどっしりと構える。高さ20メートルほどの石垣は迫力あり。
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飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)

– 震災前 –

– 震災後 –
平成16年12月に当時の工法を用いて復元。熊本地震によって石垣が崩れ、片側は角石のみで支えられている。「奇跡の一本石垣」として全国的に取り上げられた。現在はこれ以上の倒壊を防ぐ為、緊急対策工事として鉄骨のアーム(借受構台/かりうけこうだい)が櫓を支えている。
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長塀(ながべい))

– 震災前 –

– 震災後 –
国重要指定文化財のひとつ。熊本市役所前を流れる坪井川沿いに約242mの長さの塀が続いている。熊本地震によって塀は壊れたものの、石垣はどっしりと構えている。
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大天守・小天守(二の丸広場より)

– 震災前 –

– 震災後 –
二の丸広場からは天守閣(大天守・小天守)と宇土櫓が一同に会する絶好のスポット。二の丸広場には常設ステージが設けられ、熊本城復興を願って様々なイベントが行われている。
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馬具櫓(ばぐやぐら)
平成25年に復元された櫓。ここから南側には、城主の屋敷であった「花畑屋敷」(現在の花畑公園一帯)があることから、城主が本丸へと通う登城口として厳重な防御がなされていた場所。熊本地震によって石垣が崩れた。
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加藤清正像

御幸橋のたもとで悠然と構える加藤清正像。
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五間櫓(ごけんやぐら)、北十八間櫓(きたじゅうはちけんやぐら)、東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)

– 震災前 –

– 震災後 –
東竹の丸にある平櫓(東十八間櫓、北十八間櫓、五間櫓)。加藤清正築城した当時の姿を残し、国の重要文化財に指定。櫓は武器、武具などの倉として使用され、戦時には兵の駐屯所にも当てられた。熊本地震により、北十八間櫓と東十八間櫓が石垣もろとも倒壊した。

– 平成29年3月1日現在 –
倒壊した東十八間櫓の部材や石材を回収し、遺構に影響を与えないよう養生した上にモルタルを吹き付け、崩れ落ちている栗石等を移動するなどして、応急工事が進められている。
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