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日本初のオリンピック選手 日本マラソンの父

金栗四三さん ゆかりの地を巡る

お正月の風物詩「箱根駅伝」では、今年もドラマが生まれ、多くの人に感動を与えてくれました。そして、2020年「東京オリンピック」を目前に控え、日本ではスポーツの話題がメディアには出ない日がないほど。スポーツは、見る人を巻き込む一体感が魅力のひとつですよね。ああ、2020年が楽しみです。……こんな当たり前のことが、当たり前になっている「はじまり」には、実は、熊本のある人物が大きく関わっていることをご存知でしょうか? 今回は、熊本が誇る偉人・金栗四三(かなくりしそう)さんについてご紹介し、ゆかりの地をご案内します。

金栗さんを知ろう!

オリンピック国内予選会優勝の記念写真

日本人初のオリンピック選手!
金栗四三さんは、熊本が誇る偉人です!

「日本マラソンの父」と呼ばれ、マラソン普及に尽力した金栗四三さん。日本人初のオリンピック選手であり、箱根駅伝の創始者、後進育成に邁進した、熊本が誇る偉人の一人です。 この人がいなかったら、今のマラソン界が変わっていたかもしれない……と言っても過言ではない人物なのです。 金栗さんは、明治24年8月20日に玉名郡春富村(現・和水町)で生まれ、旧制玉名中学校(現・玉名高校)卒業後、18歳で東京へ行きます。そして、後半生には熊本に戻り、92歳で亡くなるまで、実に約50年間を熊本で過ごしました。生家は今も残っていて『金栗四三生家記念館』として一般公開されています。体が弱かったという金栗さんですが、玉名北高等小学校(現・南関第三小学校)へ通う往復12キロの通学路を毎日走って通う内に、独自の呼吸法「スッスッハッハッ」を生み出し、みるみる足が速くなっていったのです。

立ち寄りスポット

第5回オリンピック ストックホルム大会へ出場!消えた日本人として現地で話題に

明治43年に進学のため東京に出ます。そこで、マラソン競技と出会い、翌年、オリンピック国内予選で世界記録「2時間32分45秒」を達成し、日本人初のオリンピック選手となるのです。明治45年「第5回オリンピック ストックホルム大会」では、途中で意識を失い、地元のペトレ家で介抱されます。しかも、競技場ではなく、直接宿舎に戻ったため、現地では行方不明扱いになり、「消えた日本人」と大きな話題になったそうです。その後、昭和42年にストックホルムに再び招待され、念願のゴールを果たした金栗さん。その記録は「54年8カ月6日5時間32分20秒3」。マラソン世界最長記録となり、「長い道のりでした。この間に嫁をめとり、6人の子どもと10人の孫に恵まれました」と言葉を残しています。

ストックホルムオリンピックパンフレット

ストックホルム大会開会式入場行進で「NIPPON」プラカードを持つ金栗さん

ストックホルム帰国後の写真

温泉

金栗さん、念願のゴールの様子

昭和39年(1964)玉名高校陸上部員と走る金栗さん

マラソン普及と体育振興
後進育成に邁進する人生

その後、「第7回アントワープ大会」「第8回パリ大会」と、計3回のオリンピックを経験した金栗さんは、世界水準の高さを痛感します。海外の選手のマラソンシューズを参考に、ランニングシューズの原点「金栗足袋」を開発したり、地理の教師として教壇に立ちつつも、自ら走るだけではなく、スポーツの重要性を伝えていきます。女子体育の振興にも力を入れ、駅伝を発案。大正9年に「四大専門学校対抗駅伝競走」を開催。これが、正月の風物詩「箱根駅伝」となるのです。
人生のほとんどを、マラソン界の発展と日本のスポーツの基礎を築くことに掲げた金栗さんが掲げる「体力・氣力・努力」の精神。「金栗さんは、決して天才ではなく、努力して様々な結果を残していかれたと聞いています」と、和水町教育委員会の益永さんは話します。コツコツと努力を重ねた結果、「日本マラソンの父」と呼ばれ、現在の日本マラソン界に大きく貢献し、昭和58年11月13日92歳で永眠された金栗さん。東京オリンピックを目前に控えた今、改めて感謝の気持ちと共に、ゆかりの地を巡ってください。

金栗四三さん、ゆかりの地「和水・玉名」を巡ろう

ゆかりSPOT

金栗四三生家記念館
OPEN 〜2019年12月 23日(月)まで

造り酒屋だった当時を再現。高い天井も印象的

日本マラソンの父を生んだ
築200年越の生家

平成のはじめまで金栗一族が住んでいたという、築200年を越える茅葺き屋根の民家。ココはまさに、金栗四三さんが、生まれてから18歳まで暮らした生家です。代々地域の庄屋を務める家系で、造り酒屋を営んでいた金栗家。土間や居間などをそのままに、当時の暮らしが分かるよう再現され、記念館として開放されています。金栗さんが閉じ込められた「学校部屋」や、造り酒屋の様子が分かる再現ゾーン、幼少期のエピソードなどは映像展示で。まずは、記念館で幼少期を知って次の目的地へ。

時代を感じる土間

「学校部屋」をのぞくと金栗少年が

当時の写真や映像が展示された居間

ゆかりSPOT

日本マラソンの父 金栗四三ミュージアム
OPEN 〜2020年1月13日(月・祝)まで

生誕の地で知る
誕生から、功績の数々

和水町(旧・春富村)生まれの金栗さんを、等身大の視点で紹介しているのが、このミュージアムです。少年時代から、オリンピックまでの道のり、挑戦、功績、箱根駅伝、町の魅力の6つのエリアで構成された館内は見どころ満載。驚くのは、ユニフォームや足袋、トロフィーなどのゆかりの品々が約30点展示され、全て本物というところ。物を大事にする金栗さんの人柄が窺い知れます。音声ガイドもあるので、じっくり時間をかけて金栗さんの偉業を、その肌で感じてください。

プロジェクションマッピングやCGなど、演出の数々に感動!

ストックホルム大会で実際に着たユニフォーム!

ゆかりスポット 日本マラソンの父 金栗四三ミュージアム

展示スペースでは……

国内予選大会のトロフィー。綺麗すぎてレプリカと思ったけれど本物です!

パネルのQRコードを読み取って、音声ガイドを利用しよう

ゆかりSPOT

金栗四三ロード

「韋駄天登校」で培った
走る事の基礎

「マラソンの基礎を作ったのは、高等小学校時代に一里半の通学をやったことによると思います」。このように金栗さんが語っているように、生家から玉名北高等小学校(現・南関第三小学校)の往復約12キロを走って通学していたと言われています。この韋駄天登校の通学路は「金栗四三ロード」と呼ばれ、親しまれています。現在も残る原風景に思いを馳せてみてはいかが?

マラソンコースとしても親しまれている「金栗四三ロード」

生家前。金栗四三ロードの出発点です

ゆかりSPOT立ち寄り編

ゆかりSPOT

花の香酒造

花の香
花の香

「酒造りは環境が影響します。和水で育った山田錦と仕込み水も同水域。花香る里で、香り高く華やかな花の香の世界観を、五感で感じてください」。6代目神田清隆さん

金栗酒造を受け継ぎ
花香る山里で美酒を 造り続ける酒蔵

金栗さんの実家「金栗酒造」を受け継いだ「神田酒造」の創業は明治35年。以来、和水で焼酎や日本酒を造り続け、「花の香酒造」に屋号を変えたのが平成4年のことです。香り高い日本酒を次々と生み出し、日本だけでなく世界で高く評価されています。そんな注目の酒蔵が、2019年2月に一新。酒造りを見て感じるギャラリーや御神水、テイスティングバーのある1階に、大吟醸の粕汁が楽しめる2階もオープン。しかも、世界で活躍するシェフやアーティストが手掛けた唯一無二の「花の香の世界」と言うから、期待せずにはいられません。

縁のある写真家・ハービー・山口氏が撮影

地震で解体した煙突のレンガをバーカウンターに。テイスティングは3杯1,000円

「花の香酒造」の世界観を表現した空間演出

ゆかりGOURMET

くまもっ豚すき焼き

金栗さんの好きな
「豚のすき焼き」を25軒がアレンジ!

「豚のすき焼き」が好物という金栗さん。そこで誕生したのが「くまもっ豚(とん)すき焼き」です。これは、豚のすき焼きに、熊本が誇る生産量のトマトをプラスして開発したご当地グルメ。今回、玉名・和水・南関の飲食店25軒に、オリジナル「くまもっ豚すき焼き(豚肉+トマト+割下)」が登場し、2019年12月末まで楽しめます。ゆかりの地巡りといっしょに味巡りもお楽しみください!

ライター紹介

温泉ソムリエ・ライター
今村ゆきこ

熊本のタウン誌 タンクマ・モコス編集部の編集を経てフリーランスへ転身。熊本第一号温泉ソムリエとして、熊本の魅力を発信。新たな温泉ブランド「くまもっと湯美人」(熊本県観光連盟)のアドバイザーなどを行う。ライフワークでは、益城町・東無田集落の活動のお手伝いや、仮設団地へプレゼントを届ける「ハッピープロジェクト」など、復興支援も活動中。

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