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益城町と南阿蘇村の春

益城町と南阿蘇村の春

平成28年熊本地震から3年の月日が経とうとしています。 甚大な被害を受けた益城町と南阿蘇村はいまどうなっているのでしょうか? 今回は少しずつ、着実に歩を進めているこの2つの地域をご紹介します。 そこには、語り部・ジオガイドとして訪れる人々に地震と気づきを伝え続ける人がいました。 奇しくも2人の語り部が語ったのは地震がどれだけ凄まじかったかではなく、自然への畏敬と共生、そして神話と伝説のお話でした。 もし、興味が湧いたなら直接お話を聞きに行ってみてください。

益城町エリア語り部

益城町

語り部

ながたただゆき
永田忠幸さん

語り部になったきっかけは?

復興支援旅行に来た知人から益城町の現状を見たいとあって現地案内をしました。そんな申し出が数件あってご案内していた所、それが益城町の役場の職員さんの耳に入り、目に留まって、視察の問い合わせがきているから堂園地区の案内をして欲しいということになってはじまりました。

語り部をする際、どんな思いをお持ちですか?

僕個人の考え方なんですが『地震のせい』ではなくて『地震のおかげ』でって考えながら、堂園でやる意味は何なのかな?をずっと考えていました。受けた研修で、大蛇伝説や土地にまつわる話しを聞いてぜひこれを伝えたいなって気持ちになりました。

修学旅行のプログラムにもなっていますね?

僕が案内する堂園地区は津森校区2番目に被害が大きかったエリアです。天然記念物に指定された堂園、谷川(たにごう)、杉堂の3エリアの中で、杉堂はまだバスが乗り入れられない状況です。
プログラムには、堂園、谷川、ミナテラスが組み込まれています。
堂園は、土地にまつわる話しを聞いて、今後の生き方を見直す機会に。
谷川は、断層という断層ではないにも関わらず甚大な被害が起こりました。断層ではないから安全という盲信のいい材料になりました。
ミナテラスは、教育委員会の建物で、まさに語り部さんが語る場所です。災害への備え、対策、役に立ったという体験談を伝えています。

ご出身の堂園地区とは?

地震によって、地表で横ズレが最大2.5m、縦ズレが1.7m、それが全長180mに渡って生じました。このことが生活圏内での1995年の観測以来、長さ日本一となり、天然記念物に指定されました。この地域には昔から伝わる大蛇、龍伝説があるんですね。それは、大蛇が地を這う=地震や災害の例えだったんですね。それを警告するために伝説や地名が残っているんだと思います。僕は地震がどれだけ凄まじかったを語りたいのではなく、もっと皆さん自身が住んでいる地域に目を向けて欲しいということ。どうしてこの地名はつけられたのか?どうしてこんな昔ばなしがあるのか?そこには語り継がれてきた理由があると思います。それを先人たちが教えてくれているのかも知れないと。ですから、皆さんには生まれた土地、町に愛着を持って、次の世代につなげていただきたいですね。

今後のビジョンはありますか?

語り部に対してのビジョンは、しなくてよくなることが理想です。今後、頑張って続けていこうという気持ちはありません。来てくださった方には、この熊本の教訓を活かして、次につなげていただきたいです。震災があって気付かされたことを、災害とかではなく、生き方を見つめ直すきっかけにしてもらったらありがたいと思っています。

今後の自身の益城町での役割を感じますか?

益城に住んでいる一人として、震災を受けた一人として、色々な人と関わって、さらに地元益城のことを知りました。 漠然としていますが震災前よりいい町にしようと思っています。すでに私が住んでいる堂園地区では仲良くなっている感があって、その輪はどんどん大きくなっています。自分の子ども達にその伝統、関係性を継続していってもらいたいと思います。

メッセージ

色々な方々の沢山の応援で少しずつ復興が進んでいます。「おかげさま」を忘れずに地震で得た教訓を皆さんと一緒に学びたいと思います。見た目は胡散臭いガイドですが、どうぞお付き合いください。

益城町の語り部・ガイド団体のご紹介、料金、予約方法などの詳細をご覧いただけます。

かせする
立ち寄りスポット

岡本商店

いまやテクノ仮設団地の名物!
『益城プリン』

震災で以前の店舗は倒壊してしまい益城テクノ仮設団地の中に店を構える岡本商店。阿蘇のジャージー牛乳と濃厚なたまごを使った、素材本来の味が際立つ素朴で懐かしい味がする『益城プリン』は、いまや復興のシンボルグルメといっていいほど愛されています。移動販売も行っており、お呼びが掛かればどこへでも伺います!

Greentea.Lab
-グリーンティーラボ-

仮店舗で営業していた「お茶の富澤」が
日本茶カフェとしてオープン

日本茶のおいしさを広げ、益城町を元気にしたいという愛情溢れる思いがお店の洗練さと心配りに伺えます。茶葉やブレンドによってお茶を一日で表現。地元の希少米を使用したおにぎりと自家製おばんざいでお食事も。そしてお茶に合う和カフェメニュー。設えも要チェックです。4代目ご主人夫妻の強くて優しい思いは、益城町の意気揚々とした未来を想像させてくれます。

益城ファーマーズビレッジ・ファム

益城町の新たなスポット、
益城食堂の夜メニューが新しくなりました!

益城ファーマーズビレッジ・ファム内にあるカフェ『益城食堂』は夜も営業中。人気のおとな様ランチをはじめ、お昼に提供しているランチメニューが夜でも楽しめるようになりました。隣接のましきマーケットでは、産直野菜をはじめ敷地内の工場でつくられたハムやチーズ、地元益城町の食材などを販売しています。このお店は地元の食品商社丸菱が運営している美味しいものに関してはプロ中のプロ。食を通して益城町の“美味しい”と“今”を発信してつづけています!

南阿蘇村エリア阿蘇ジオガイド(語り部)

南阿蘇村

阿蘇ジオガイド(語り部)

ひろせあきみ
広瀬顕美さん

ジオガイドになったきっかけは?

2010年に日本ジオパークに認定された阿蘇ジオパーク。2012年にガイド組織ができました。それ以前は火山博物館のガイドとして案内をしていました。
ジオパークは、生きて活動している地球の姿がみられる「大地の公園」のことです。ですから、地球の営み、そのものが感じられる今回の地震の爪痕や、自然災害とどのように折り合いをつけてひとびとが暮らしているか、しっかりと感じていただけるジオサイトとなりました。自分の体験を通して、阿蘇ジオパークを語るのは、大きなやりがいを感じるところです。大地の動きを、ありのまま受け止めて、そこからどうやって復興していくか、そう思うと今回の災害もなにか受け止められるモノがあります。

ジオガイドとしてどのように気持ちに整理をされましたか?

どんな立場でこの被災地を紹介したらいいか悩み、もう一つ踏ん切れないところがありました。
それは今もですが・・・
全国の支援者の方に体験を語る機会があったんですね。20分位の時間だったので、資料をパワーポイントで作ってみようと思いました。
自分の被災した状況、写真などを入れながら、そういうことをすると自分自身が整理されてくるんですね。何を言いたいのか、どのようにしないといけないのか、漠然としたモノがまとまってきました。
自分を見直して、支援してもらった方たちにどう伝えていくのかというのが見えてきました。 その辺りからですかね、他のジオガイドも動き出したんです。

地震の前と後ではジオに関する思いに変化はありましたか?

ジオサイトの値打ち、捉え方がまったく変わりました。先人がどういう思いで生活を営んできたかが見えてきました。
阿蘇カルデラは9万年前までの4回の大噴火でカタチづくられました。周囲100kmを越す、巨大カルデラですが、一か所「絶妙の切れ目」があり、それが世界一ともいわれてきた様々な地質学的な特徴を作り出しました。
見事な外輪山、カルデラ湖にならず「阿蘇の千枚田」といわれる広い耕作地、道路が通り、線路が敷かれて、5万人もの人々が暮らす地域になったんですね。カルデラの大きさは世界一ではありませんが、九州の要の場所として、産業・文化・観光を支えてきました。今も噴煙を上げている中岳火口を身近にのぞくことができることも含めて、阿蘇ジオパークを紹介してきました。
熊本地震で阿蘇大橋が崩落して、私たちの暮らしは大きく変わらざるをえませんでした。そして、その値打ちを思い知らされたのです。阿蘇大橋によって南阿蘇は伸びやかに発展していたのです。
健巌龍命(たけいわたつのみこと)がけ破り、湖の水を出して、領民に農地を与えたという神話の正体が、今回の地震でわかったのですね。大地震そのものが、け破りの主だったことになります。西洋では地震のことを「神様のしりもち」というそうですが、尻もちをついて立てなくなった場所が「たての」の地名の由来などという話もおもしろいつながりです。健巌龍命は阿蘇神社にまつられ、農耕祭事をつかさどっておられますが、阿蘇神社は自然の活動そのものをお祀りされているのかもしれません。震災後は、神話への視点も変化して、先人たちの体験から受け継がれているものの大きさも感じています。

この辺りの特徴は?

阿蘇のカルデラの中には、活断層は認められていないと、聞いていたんですね。布田川断層は北向山(きたむきやま)の入口まで確認されていたんですが。こんなカタチで姿を現したんです。
阿蘇大橋は1971年に完成しましたが、それまでは立野の溶岩台地から立野峡谷の谷間までつづら折りの道を下って、栃木まで登り上げる狭い山道がメイン道路でした。それで、早くから発展していた阿蘇谷にくらべると、辺鄙なところで、「裏阿蘇」とよばれていたんです。阿蘇大橋は大学を引き寄せました。九州で最初にできたペンション村や温泉分譲地などお洒落な保養地としても脚光をあびるようになっていました。そしていつしか裏阿蘇という言葉は消え、「南阿蘇」という響きの良い地区として、熊本の観光を牽引するようになりました。
今回の地震で、700人を超す学生さんが住んでいた「学生村」の趣は変わりましたが、防災教育の基点としての様々な取り組みも始まっています。全国各地から修学旅行の問い合わせなども増えています。地震で気づかされたこの地域の特徴と景観は、新しい大きな財産となっています。地区の人たちも戻ってこられるようになり、住民主催のウオーキングを開催したり、復興弁当を共同開発したり、力強い取り組みが始まっています。

必ず伝えていることはありますか?

・いま自分が備えておくこと・人のつながり・“阿蘇もん”の生き方 ですね。
阿蘇の人々は、自然と共存していく中で「しょんなか(=しようがない)」、「誰も恨まん」、「自分たちが“できるしこ(=できる分だけ)”」を大切にして暮らしています。
また、明治時代の歌人がこの地を訪れた際に詠んだ歌を紹介しています。
『大阿蘇のヨナ降る谷に 親の親 その子の孫も 住み継ぐらしき』
数えたら五世代ですよ!自分、親の親、その子の孫も住み続けている。こんな条件の悪い、ヨナ(火山灰)まみれの所に住んでいるという内容なんですが、これは自然と共に住み継いでいる「あそもん」への驚嘆の歌なのだろうと解釈しています。自然の恵みをたくさん受けながらも、その怖さや厄介さとも共存してきた「あそもん」の逞しさ、しなやかさを感じられたのだろうと思います。自然災害の多い日本、自然と共存する原点をかんじていただけると思います。

メッセージ

阿蘇カルデラの源はここ立野峡谷(阿蘇火口瀬)です。
その値打ちを教えてくれた熊本地震。
私たちジオガイドは、すばらしい景勝地や観光地をまわりながら、阿蘇の歴史や成り立ち、神話とともに受け継がれてきた人々の暮らし、防災・減災など様々な切り口からご案内します。

阿蘇のジオガイドのご紹介、ジオルート、料金、予約方法などの詳細をご覧いただけます。

かせする
立ち寄りスポット

おふくろ亭

南阿蘇村の復興の作業に
取組む人々のために

阿蘇大橋付近の崩壊を眼前に、眼下には東海大学を望む「おふくろ亭」。自らも被災しながら、平成28年の9月にはいち早く営業を再開しました。それは、工事現場で働く人たちに感謝の気持ちを込めて温かい食事を提供したいからの思いのみ。中でも煮込みホルモン定食(700円税込)は名物。柔らかいホルモンに味噌がしっかりしみ、心にもしみ入る美味しさです。

復興応援!イベント

カレー

華麗なる阿蘇の花旅
あそ春のスタンプラリー

4月27日(土)~5月26日(日)まで

野焼きを終えた阿蘇の草原は、いま緑鮮やか。キスミレ、ハルリンドウ、 ヤマフジなどの花の息吹に包まれています。そんな草原の息吹を感じながら、熊本地震からの復興が進む阿蘇郡内一円・山都町(蘇陽地区)の「道の駅」・「物産館」を巡りましょう!注目のカレーを味わいながら、スマートフォン片手にスタンプラリー♬さあチャレンジです!

2019 南阿蘇・黒川ウォーク

4月21日(日)開催

南阿蘇村・黒川地区の4年目の現状と復興へのあゆみを知り、日頃の防災意識を学ぶイベントです。旧長陽西部小学校~阿蘇大橋跡地~東海大学前を巡るコース。最後には旧長陽西部小学校へ戻り、地元の方の振る舞いとふれあいが。先着順の定員制です。まだお申込みが可能です。復興を願うとともに、防災の意識を高め、広げるいい機会です。

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第3回熊本地震復興祈念コンサート

高校生の「取り組んでかせするもん」

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